チラシの裏

チラシの裏です。

マジック

タイプグラディエーターは長考サイトでのデザインだった。

 

4つのフィールドからスタート。フィールドの移動や掛け持ちはできない。各フィールドで一定のスパンで競技を行い、上位成績のものがセカンドステージへ進出する。セカンドステージで成績が振るわなかったものはファーストステージへ転落してしまう。

セカンドステージでも成績が優秀な者はファイナルステージへ進むことができる。ファイナルステージでトップ成績を収めた者はそのシーズンの優勝者だ。

 

各フィールドの名前も決まっていた。

ファーストステージは「東の広場」「西の広場」「北の広場」「南の広場」。棒っきれ持ってやーやーチャンバラしてるイメージ。

セカンドステージは「貴公子の闘技場」「帝王の闘技場」。各諸国の猛者がさらに研鑽するイメージ。そしてトップステージは「神の宮殿」。ギリディエーターなんて造語も作ってて、神の元、ギリディエーター達が己の限界をかけて戦う神聖な場所だ。フィールド名の「貴公子」「帝王」「神」は僕の大好きな大喜利プレイヤーの通り名だった。

 

最大50人のフィールドが7つ、350人の頂点というステイタス。同一お題で同一評価者の想定で、1日1回の投稿ができる設計だった。

 

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しかし計画は頓挫した。僕のPCの片隅にテーブル設計が残っているだけで、ソースすら世の中には存在しない。

 

なぜか。いくつかの要因がある。

 

1)大手サイトとほとんど同じ

某有名大手長考大喜利サイトとあんまりかわらないのだ。なにか特色をもたせられれば良かったのだが、それが思いつかなかった。今なら少し特色を出せるコンテンツがあるのだが…。

 

2)大喜利PHPという特色を活かせていない

大喜利PHPの最大の特色は3分。これを活かせてない。3分になれたプレイヤーを当時300人程度集めることは可能と考えていたが、それが長考となった場合それが可能かは未知数だった。

3分は気軽だ。ちょいときてちょいと遊べる。その中で大喜利の魅力にとりつかれた人は長考に流れていく形はあったが、全員が全員そうかというとそうではない。300人程度集めるなら、3分お手軽大喜利ゲームに1200人はいないとならないんじゃないか。素人1200人をなんとか獲得し、大喜利ゲームを教育して、その中で25%程度が大喜利にハマった結果ならいけるのかもしれん。

 

3)やる気なくした

某所を見たんだと思う。バカバカしくなった記憶がある。特にアク禁とかの「本当は組みたくないプログラム」を組んでるときにあの場所を見ると危険だ。

いや、そのほとんどは刺さらない。「下手くそかw」と思えるし、笑えたりもする。が、たまーに心にえぐりこんでくるのがある。これが怖い。一気にライフをゼロにできる。wizardryならクリティカルヒット、首がはねられてHPがマイナスになるあれだ。ざっぱさんに僕の嫌がる書き方を聞いたんだろうか。

 

4)競技と演芸

大喜利PHP赤い部屋は「演芸」よりだったと思う。演者と客とで分かれた完全な演芸ホールというより、客も気軽に参加できる演芸。素人のくっそつまらん芸もあるにはあるが、その中で思わず見とれる芸がけっこうな頻度で出てくる劇場。

それらに魅せられた素人で芸を磨く人がでて、また新たなスターが現れる…といったスパイラルな気がしていた。

それがいつの頃からか得票率至上主義な「競技」になっていたのに違和感を感じていた。さらにそれを助長するようなものを作っていいのか。逆にこれを作ることで初心者と熟練者の棲み分けが出来るのか?などいろいろ考えた結果わからんくなった。

 

5)技術、リソース

そもそも300人だか350人だか来て、それさばけんの?って話。ただハード的にはともかく、ソフト的には拡張性があるね。なんかでバズって1000人きたとしても、フィールドを増やすことで対応はできるわけだし。(ちなみにタイプゼロサーバシステムは理論上350人が来てもさばく力がある。すごいぞ!ジャパニーズマネー!ビバ金の力!)

 

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僕の好きな大喜利プレイヤーの1人の某ブログが久々に更新され、その記事を見たときにびっくりした。

 

そこに書かれていたのはタイプグラディエーターの構想で考えていた内容だったからだ。

 

200人が50人となった認識は、3分に慣れた頭で考えていたからだろうか。細かいことはともかく、僕は「自分の考えているベクトルはそう大きくは違ってないのかな」と自信を持てた。その証拠に、自信を持てたから、ひさびさにエディタを立ち上げてタイプゼロ構想を練っていくことになるのだ。

 

縁というか以心伝心というか。いやそんなウエットなものではないな。ただ不思議と考えがシンクロしただけだろう。そう、まさにマジックなのかもしれない。